願われた者が願うこと


   



3年前から、僕はフツウからかけ離れた存在になり、フツウに楽しむ、ということからは無縁の生活を送ってきた。
学校に通うのも、それは自分の年齢が学齢に達していたからという理由で、だ。
フツウ。
それは、僕には縁遠い言葉であったはずなのに、涼宮ハルヒとの直接的接触を果たしてから、 僕は、彼に言ったらこれがフツウなワケがあるかとなじられそうだが、特殊なアルバイトをしているだけの、 フツウの高校生に近づいたように思う。
彼の功績によって、また神に『願われた』存在に返り咲いた後、夏から秋にかけて僕はSOS団としての活動を楽しんできた。
野球大会、七夕、合宿、夏休み、文化祭…。
単語だけ並べれば本当に至ってフツウな高校生。
ただ、時折、フツウに該当しない出来事が起きたり、また、自ら起こしたりしてきたため、 まだ、『近づいた』としか言えないのが難点だ。

それでも。
以前の僕からしたら格段にマシになったと言える。
僕は、そう例えるなら、愛想だけいい長門有希のような人間だった。
本当に言いたいことはごくわずか。
それ以外のコトバはすべて上辺だけを取り繕った当たり障りのないコトバばかりだった。
僕が存在するのは、閉鎖空間で《神人》と闘うため。それ以上でもそれ以下でもない。
だから、コトバでコミュニケートすることは必要なことではない。そう思っていた。
その一方で、本当に伝えたいと思ったときには、言葉を尽くさねば、他者には伝わらないということは、 身をもって知ってはいた。
例えば、『機関』の中で言葉を尽くすのは、僕の義務だった。
報告には言葉を尽くさなければならない。

僕が不必要だと考えていたのは、願望を伴った言葉の使用。
人に伝えたい。そう思うことなどきっとないと思っていた。
そんなことを思うのは、天変地異の前触れだと、そう考えていた。

今、僕はできる限り言葉を尽くそうと努力している。
伝えたい。
その願望が僕を突き動かす。
僕は彼に対しては誠実であろうとして、言葉を尽くそうと努力してしまうのだ。

どうして彼にここまで執着するのだろう。
時を経れば分かると思っていた。
彼女の監視を続けながら、彼と共に行動することで彼が僕にとって何であるのか分かると思っていたのだ。

それなのに。
今、クリスマスも間近に控えた12月半ば過ぎだというのに、彼が僕にとって何であるのか、 という重要な命題に対する結論を出せないままでいる。

SOS団の一員で。
朝比奈みくるに好感を持ち、長門有希にめげずに話しかけ、僕とオセロをすると全勝してしまい。
一般人にもかかわらず、彼女に対して一番影響力を持ち。
彼女に唯一、文句をつけられる存在。
僕が閉じこめていた諸々の感情を引き出してしまう存在。

彼に近づいて、彼に触れて、その存在を確かめたい。
彼の、体臭を感じられるほど近くはひどく心地いいのだ。
その感情を一般的になんと名付ければいいのか、うすうす感づいていた。
でも、簡単には認められない。
認めるわけにはいかなかった。

彼は彼女の安定剤で、『鍵』で。
彼に異変があったらきっと彼女は、彼と出会う前の彼女よりも一層不安定になる。
閉鎖空間は生まれ続け、いつか、世界が崩壊する。
そんな事態を引き起こすことは、『機関』の一員として避けなければならない。

僕はそんな状況を、いつにない平穏への安堵感と、神へのほんの少しの憎しみとともに、 冷ややかな視点から傍観していた。



こんな事態が起きるなんてあり得ない。 そう思う一方で、冷静にこんなことが起こると思っていた自分を僕は確かに自覚していた。

状況としては最悪だろう。
彼が、階段から落ちて、目を覚まさなくなったのだ。
『機関』に手を回して、私立の総合病院に入院させたまでは良かった。
その後、目覚めない彼を様々な検査にかけても一切の異常が出ず、3日目の今日になってもまだ目覚めないのだ。

「あなたがついていながら何をしているのですか!」

滅多に声を荒げない上司に怒鳴られた。
『鍵』の彼に何かあれば、世界がどうなるか分からない。
僕だってその程度のこと分かっている。
階段落ちをどう防げばよかったのだろう、と思案する程度には僕だって後悔している。

階段から落ちただけなら良かった。
それ以上に僕の心を痛ませているのは、彼が目を覚まさないという事実だ。
こんなにも感情を揺り動かされるなんて思っていなかった。
階段から落ちた彼が、苦しむ様子でも見せていれば、僕はこんなに動揺しなくて済んだかもしれない。
昏々と眠り続けるように、このまま安らかに息を引き取ってもおかしくないような…。

…そうか、あの時と一緒なのだ。
彼女が彼を新世界へ連れ去っていってしまったときと。
彼がこの世界からいなくなってしまうことへの恐怖。

彼女への憎しみを自覚したあの時。
僕にこんな能力を与えて、知識を与えて、周囲を取り囲んでいた「当たり前」を奪い。
願っても得られないものに対する不満を無意識にぶつけ、それを僕らに処理させ。
そんなことに気づきもせず、不満そうな顔をする彼女。
自分をこんな風にした彼女を肯定するために錯覚の愛情を持たなければ生きていけなかった僕。
なんと滑稽なことだろう。

だが、彼女の傍に彼が現れた。
僕は能力を与えた彼女と『鍵』たる彼の監視の任に就き。
彼の傍で、彼の優しさに触れ、傍らの心地よさを知り。
僕は今、こんなにも彼に依存している。

―――――僕は彼という存在を得て、ようやくあなたを憎むことができるようになったんです。

それなのに。 やっとささやかな幸せを手に入れられたというのに。
彼はまた僕の前から消えようとしている…。

青ざめた顔をして、茫然自失の状態では、彼女に不審がられる。
彼女のように、彼の病室に泊まり込もうとすれば、僕が彼に執着していると気付かれてしまう。
身を切られるような思いで、僕は交代の時間になる度に病室を離れ、 次に僕が病室を訪れてもいい時間までまんじりともせず、時を過ごす。
閉鎖空間の発生を感じていても、僕にはそれどころではなかった。
仲間には悪いことをしていると思いながらも、僕はその場から動けないのだ。

彼がいなくなるなら、こんな世界、どうなったっていい…。
僕はいつのまにか、こんなにも彼に支配されている。



そんな懊悩を抱えたまま、3日目になった。

僕は昼過ぎに彼の病室を訪れた。
手みやげとしてリンゴを5,6個買い込み、彼の目覚めを待つ間の手慰みにしようと1冊の本を抱えて。

僕が病室をおとなうと案の定、涼宮さんが椅子に座り、ぼんやりと窓の外を見つめていた。

「こんにちは。ご苦労様です」
「まだ目を覚まさないのよ、キョンったら。
ここまで来ると寝穢(いぎたな)いなんて罵れなくなるじゃない」

その表情は、彼に出会う前のそれと酷似しているようだったが、どこか淋しさを感じさせた。
憎まれ口を叩いて強がってでもいないと、崩れ落ちてしまいそうに見える。

「この後は僕が見ていますから、少しお休みになってはいかがですか?」

昨晩もきっと寝つけてはいないのだろう。
よく見なければ分からないが、目の下にうっすらとクマが浮いている。

「彼が目覚めたらすぐに起こしますから」
「…そうさせてもらうわ」

一瞬考え込む素振りを見せてから、彼女は弱々しく頷いた。
そして、持ち込んでいる寝袋に入り込む。

「絶対よ。絶対、すぐ、起こしてよね」
「了解しました」

僕の反応を見て、少しだけ安心したように顔をほころばせると、目を閉じた。
間もなく、すーすーと寝息が聞こえてくる。

誰が見ているわけでもないのに、僕はうっすらと微笑んで、ベットを挟んで彼女の反対側にある椅子に腰を落ち着けた。
持参した本を膝の上にのせ、彼の顔を見つめる。

―――――彼女をここまで心配させるとは、あなたは本当に罪な人だ。

安らかな寝顔を見ているとつくづくそう思う。

あなたはどんな夢を見ているのですか? …その中には僕も登場していると嬉しいのですが。

心の中から語りかけるなんて、不毛なことをしてしまうくらい心配しても、彼は目覚めない。
今日までの間、彼が目覚めてから尋ねればいいことばかり心の中で繰り返してしまう。
不服そうにしながらも、教えてくれる彼の姿を想像しながら。
もちろん、彼が目覚めたら、の話だ。

彼が目覚めたら、僕はどうするだろうか。
泣きもしないし、罵りもしないことは断言できる。
ただ、いつも通りの笑顔を彼に向けられるかというと、疑わしかった。
彼が目覚めることだけを思い、また声が聞けることを願う。
ボードゲームをして、一緒に下校して。
あの、穏やかなる日常の心地よさは癖になるんです。
まるで、中毒になったように、抜け出せないんです。
癖になっていたはずの笑顔を思い出せなくなるほど、あの日々に捕らわれているんです。

だから、帰ってきてはくれませんか?



彼の寝顔を眺めながら、持参した本をぱらりぱらりと流し読みしているうちに、いつのまにか日が傾いてきたようだ。
この部屋で起きているのは僕だけ。
彼女も、そして、彼も目覚める気配はない。

リンゴの赤が目の端に映り。
Sleeping Beauty―――――。
ふいに、その単語が僕の心をよぎった。

周囲に愛された姫が毒リンゴを囓って目覚めなくなり。
姫の美しさに目を奪われた、通りがかりの王子の口付けで目覚めるおとぎ話。

さしずめ彼が『姫』ならば、『王子』は誰なのだろう。
妥当な線で行けば、彼女、となるだろう。
僕はなれても、継母だろう、なんて、自嘲的なことを思ってみたりもする。
彼の願望を叶えるなら、朝比奈みくるという線もある。
長門有希でも構わないのではないか。
要するに、僕以外の女性陣、といえる。

そう。
彼が男性である以上、対になるのは女性であるべきなのだ。
異性であるというだけで、彼という『姫』に口付ける権利が生まれる。
僕には永遠に得られない、彼に一番近い位置にいられる権利。
わずかに嫉妬を覚える。

それでも。
彼が目覚めるならば、彼が誰かに口付けられる場面を見てもいいと思うあたり、僕もどうかしている。
やはり、僕は彼を眠りに陥れる継母にはなれない、か。

リンゴを1つ手に取ってみた。
赤く、紅いリンゴ。
毒を盛らない出来損ないの継母として、彼にリンゴを饗するのもありだろうか。
それもユニークかもしれない。

ナイフを手に取った。
小気味よい、シャリシャリという音ともにリンゴの皮が下に垂れ下がっていく。
単調な作業はひどく心を落ち着けるものだ。
5,6個と言わず10個くらい持ってきてむいておけばよかったと思ってももう遅い。
あっという間にリンゴが1個丸裸になってしまった。
ベットサイドのテーブルに入っていた皿をだして、それをのせた。

袋から2個目のリンゴを取り出し、またむき始める。
今度は細く、長くなるようにむいていく。
リンゴの皮の先を見つめ、そして、彼の方へ視線を向けた。

彼の目が開いていた。
一瞬、手も表情も固まった。

彼の顔をまじまじと見つめ、それが夢でないと頭で確認し、いつも通りの微笑を浮かべる準備をする。
大丈夫、僕はまだいつも通りの微笑を思い出せる。
そして、リンゴをむく動作を再開した。

「おや。
やっとお目覚めですか。ずいぶん深い眠りだったようですね」

彼の視線が僕をとらえた。
夕暮れ時の光量の少なさ故に彼の目は普段よりも黒く見えた。

「お早うございますと言うべきでしょうか。夕方ですけど」

口を動かす間も手は止めない。
しゃりしゃりと音を立てながら、2個目もむき終わり、それも皿の上にのせた。
続いて、3個目のリンゴを手に取る。

「目を覚まして頂いて助かりました。
本当に、どうしようかと思ってたのですよ。
おっと……、ぼんやりなさっておられますが、僕が誰だか解りますか?」

冗談めかして彼に問いかけてみた。
もう、リンゴはむく必要はない。
3個目はそのまま手に持ったままだ。

「お前こそ、俺が誰だか知ってんのか?」
「変なことを言いますね。もちろんです」

片時も忘れたことなどない。
出会ってからも、この3日間も。
彼について考える時間は増えていくばかりだ。
その僕に、その問いは愚問というものだ。

彼は不思議なことに、自分が3日も眠り続けるに至った出来事をすっかり忘れてしまったらしい。
僕は問われるまま、彼が階段から落ちた前後の話を話して聞かせた。
誰かに突き落とされたようだ、ということまで。
しかし、彼は覚えていないという。
本当に不思議なことだ。

「見舞いはお前だけか?」
「さっきから何をキョロキョロしているんです?誰をお捜しでしょう。
ご心配なく。僕たちは時間交代であなたを見舞うことにしているのです。
あなたが目を開けたときに誰かが側にいるようにね。
そろそろ朝比奈さんが来る頃合いです」

ちがう、そうじゃない。彼の顔がそう言っていた。
分かっていた。彼が誰を捜しているのか、なんて。
少し、イジワルしてみたくなっただけだ。

くすり、と微笑んでみせると、彼は不審そうに僕を見た。

「いえ、あなたを羨ましく思っているだけです。羨望と言ってもいいでしょう。
僕たち団員は交代制ですが、団長ともなると部下の身を案じるのも仕事のうちだそうでして。
涼宮さんならずっとここにいます。3日前から、ずっとね」

そう言って、僕は彼女が潜り込んでいる寝袋があるであろう場所を指差した。
彼はそれにつられるように、指先の延長線上を見、目を見開いた。

それは驚きのようで、目当てのものを見つけた喜びのようで。
どちらにしろ僕には『羨ましい』ものだ。

「心配していたのですよ。僕も彼女も」

『僕も』の部分を強調して言ってみたのだが、彼のお気には召さなかったようだ。

「特に涼宮さんの動揺ぶりと言ったら……、いえ、これはまたの機会にお話ししましょう。
とにかく今は、あなたが真っ先にしないといけないことがあるでしょう?」

僕が彼女とした約束。
だが、僕が起こすより、彼に起こしてもらった方が彼女が喜ぶに決まっている。
それに、自分の手でこのほぼ2人きりという状況を壊してしまうのは気が進まない。

「そうだな」

ベットの上で座った彼が、彼女へと手を伸ばす。

ああ、日常がまたかえってくる。
彼と過ごすことのできる穏やかなる日常が。

あなたが目覚めて良かった。
本当に、良かった。
これで僕は、自分を消してしまいたいと思うほど、後悔する必要がなくなった。

だが、僕は今までとは異なる強烈な衝動がわき上がってくるのを感じずにはいられなかった。
アナタがホシイ。
その身も心も、僕のモノに―――――。
こんなにも強く願ったのは、生まれて初めてだ。

彼がみんなに優しいのは分かっていること。
どれだけ突き放した物言いをしても彼が僕の話を聞かなかったことはない。
彼は近づいてくる人間すべてを受けて入れてくれる。
どんなに特異な人間だとしても、彼はその特異な状況ごと受け止めてくれる。

それでも、僕は彼に想いを打ち明けることだけは恐怖する。
この想いが彼に受け入れられないカテゴリに入るのではと危惧してしまう。
彼がどんなに優しくても、受け入れられないものの1つや2つ、きっとあるだろう。
だからこそ、僕は恐れ、この想いを閉じこめようと努力してきた。

けれども、この強烈な衝動の行く先は彼でしかなく。
押さえつけようとしても、その想いはどんどん深まっている。
出会った頃よりも今。今よりもこの先。
ふくらんでいく衝動に僕はいつか負けてしまう。
そして、彼を傷つけてでも、この衝動をぶつけることになるのだろう。
その時、彼が受け入れてくれるなら、この世界に存在する意義を、神に選ばれた人間である彼の手で、与えられるのかもしれない。

だが、この願いは神に受け入れられるのだろうか―――――。




私の、彼らにおける前提。
古泉を救いあげたキョンというイメージ。

余談ですが、文章中、「依存」と出てくるんですが、私の中では「いぞん」でなく「いそん」と読んでます。
なんとなく、イメージがそっちなので。
軽い音の方が重い印象を受けませんか?











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