願われた者が願うこと


   1



僕の関心は彼女にだけ、向けられていたはずだった。
この学校に転校してきたのも、3年前に決定づけられた運命(さだめ)だとタカをくくっていたはずだった。

周囲にはなく、僕にはある価値観、力、使命。
相対的にはあり得ないと言われる、絶対的なモノ。
ある日突然宿ったソレは僕の周囲は一変させた。
おぞましいモノでも見るような冷たい視線を向けられたこともあった。
今まで味方だった人間がすべて敵に変わったようだった。
信頼、親交、好意。すべてに裏切られた。
人間不信になりかけた。
『機関』からの迎えが来なければ、僕はきっと、狂っていた。

今でこそ僕は『機関』に入ったことを「選ばれた」と言っているが、 昔は世界からツマハジキに遭った人間の集団なのではないか、と思ったこともあった。
創造主たる彼女の尻ぬぐいをさせられる集団。
実は貧乏くじを引いたのかもしれない。
けれど、僕らの働きが世界の崩壊を防ぐから、宝くじに当たるように選ばれたとも考えられる。
…どちらにしろ、僕らは彼女が、無意識に、願ったから、ここにいる。
彼女によって、世界が崩壊させられないように。
僕は『機関』の一員として彼女を監視している。

『機関』の末端として彼女を監視するうちに、彼女が世界に飽いているのだと気付いた。
不可思議な出来事を求めて、行動するも、それは叶わない。
彼女の中の常識が、彼女の無意識を阻むからだ。
ありえない。その考えが彼女の思いを妨げる。
そうして、彼女の無意識のフラストレーションが閉鎖空間を生み、僕はそこで暴れる《神人》を狩る。
世界の平穏を守るという大義名分のために。

僕は彼女によって、「不可思議」が与えられた。
それなのに、彼女はそれを得られない。
皮肉もいいところだ。
世界を思い通りに変えられる彼女が、彼女自身の虚空を埋める術を持たないなんて。

彼女の矛盾。
それはひどく僕の興味をひいた。
僕は錯覚のような、一種の恋心とでも呼ぶべき感情を彼女に抱いた。
彼女をもっと知りたかった。彼女は何を考え、何を思っているのか、知ろうとした。
生きるために必要な、呼吸のように自然で、自発的な行為だった。
神を崇拝するように、僕は僕に力を与えた彼女に好意を抱いた。
それは、彼女のために存在する自分を肯定する要素となり、僕に心の平安をもたらした。
僕は生きることを肯定するために恋をしていると思いこんでいたのだ。

恋が平安を呼ぶなんて、なんという矛盾だろう。
世界を思い通りにできる人間に対しての憧れと恋心を混同したコドモの感情を恋とは言わない。
今の僕はそんなくだらない錯覚に支配されたりはしない。

僕は今、熱情を孕(はら)んだ恋心を知ってしまった。

涼宮ハルヒは尊重し、肯定し、安定させるべき者。
そして、愛すべきは、あなた。
それが、今の僕の、確かなもの。



彼女に連れられて文芸部室を訪れ、彼曰く、宇宙人の長門有希と未来人の朝比奈みくると邂逅し、 「宇宙人や未来人や超能力者を探し出して一緒に遊ぶこと」を目的とした「世界を大いに盛り上げるための涼宮ハルヒの団」、 略称SOS団に所属することとなった。

団員は計5人。
前述の3名と、僕と、そして彼。

『機関』の調べで、意識的でも無意識的でも高校生以外の肩書きを背負っていないと 判明した彼が何故、ここにいるのか、僕ははじめ、不思議でならなかった。
彼女と同じクラスで、彼女の前の席に座り、彼女がSOS団を作る発端を作った、 キョンという妙なあだ名で呼ばれる、ごく普通の男子生徒。
彼女と接点を持った以外は特筆することなどないはずだった。
だが、彼の存在が彼女に与える影響が僕に知覚できる形で現れた。
閉鎖空間の発生率の減少である。

らしくもなく、嘘だろ、と思った。
いつも、眉間にしわを寄せる寸前のような、 不機嫌な顔をしていた彼女から満面の笑みを引き出しただけでも驚異的だったというのに。
事実として、彼が彼女を安定させる要因となっている。
それは、重大な事実だった。

「あなたが一番の謎なんです」

彼に問われ、僕の身分を明かしたとき、思わず漏れた本音。
『機関』にとっても、僕個人としても彼の存在は謎だった。
『機関』の重要な観察対象として以上に、僕は彼に興味を持った。
何故彼が、彼女にそれほどの影響を与えることができるのか。
彼のありようのどのあたりが彼女にとって重要なのか。
そして、彼は何を考えているのだろうか、と。

一般人にもかかわらず、彼女に対して一番影響力を持つ存在。
その影響力は閉鎖空間の発生にまで及ぶ存在。
SOS団の一員で。
朝比奈みくるに好感を持ち、長門有希にめげずに話しかけ、僕とオセロをすると全勝してしまい。
彼女に唯一、文句をつけられる存在。

気付けば目が追っていた。
たった2人の男子だからと、近くにいることが多くなり。
僕にはない、多様な表情の変化が微笑ましく。
珍しく、同年代の人間と過ごしていて楽しいと思った。

僕は特殊な人間で、ごく一般的な人間との間には、3年前から、線を引いていた。
自分でさえ、理屈をつけなければ受け入れられない自分を、他人が理解できるはずがない、そう思っていた。
僕は願われた。そう思わなければ生きていけなかったように。
僕は願われていない。それが世界から僕を剥離させていた。

ところが、彼はすべてを許容した。
涼宮ハルヒが突飛なことを言いだしても最終的には受け入れ、他の2人の話を否定することもしなかった。
そして、僕のことも胡散臭そうにしながらも受け入れてくれた。

僕は納得した。
彼女が彼を選んだ理由は、その、彼の気質なのだと。
彼女のやることを黙って見守ってくれる存在を求めていたのだ。
彼女が思いきり笑うのは、それを手に入れたから。
事実、僕ですら気付くくらい、彼の傍は居心地がいい。



閉鎖空間が発生した。
僕は目覚めるよりも前にそう知覚した。
あまりに気色悪さに吐き気がしそうだ。
今までの閉鎖空間とは異なる閉鎖空間。
無意識に理解した。
ああ、僕はもう涼宮ハルヒに「願われた」ものでもなくなってしまった…、と。

携帯が鳴った。

「異常事態です。
涼宮ハルヒと『鍵』がこの世界から消失しました」

無機質な音声が告げた事実に驚愕した。
彼女だけでなく、彼も? とうとう、世界に彼女は愛想を尽かしたか。
彼女は新しい世界を創造することにしたのだ。
こちらの世界が消えるか、存続するのかは分からない。
ただ1つ言えるのは、彼女と、彼がこの世界には戻ってこないということだ。

「異常な閉鎖空間の発生を知覚しました。場所は、県立北高校一帯。
今から向かいます」

外に出て、車に乗り込むと、いつもなら言わないセリフを告げた。

「急いでください」

彼が消えてしまう。
そのことが思いの外ショックだった。

SOS団の一員で。
朝比奈みくるに好感を持ち、長門有希にめげずに話しかけ、僕とオセロをすると全勝してしまい。
一般人にもかかわらず、彼女に対して一番影響力を持つ存在。
彼女に唯一、文句をつけられる存在。
…僕をひきつけてやまない、存在。

彼に会いたい。
彼の傍で、他愛のない話をして、ゲームをして、負けて。
そんな日常を返してほしい。
この世界から、彼を盗らないでほしい。

奇妙な感覚が更に強くなって、僕の肌をざわつかせる。
その気色悪さが、まだ、この世界と異常な閉鎖空間との連結が切れていないことの証のような気がして、安堵する。

まだ取り戻せるかもしれない。
僕は、やっと手に入れた、穏やかなる日常をまだ失いたくない。

正門前に着いた。
僕はドアを壊すような勢いで開け、いつものように閉鎖空間に侵入しようとした。
…だが、できなかった。
なにか、壁のようなモノを通り抜けたような感覚はあった。
それなのに、あの灰色の空間に入ることはできなかった。

僕の力が弱まってきているのだ。
神に愛想を尽かされたから。

携帯が着信を知らせた。

「閉鎖空間に入ることができません。場所に間違いはないのですが」

相手がしゃべり出すよりも先にそれだけ告げた。
告げられる言葉が何であれ、それに関わることだろうと考えたからだ。

「他の者たちが力が弱まっていると言っています」
「僕もそう考えています」
「古泉。あなたが入れるように能力者が力を貸すと言っています。
どうしますか?」

問われるまでもない。

「やります」



制限時間付きの侵入だと分かっていた。
けれど、再び会えないと思えばこんなにも名残惜しい。

「そろそろ限界のようです。
このままいくとあなたがたとはもう会えそうにありませんが、ちょっとホッとしてるんですよ、僕は。
もうあの《神人》狩りに行くこともないでしょうから」

本当はそれ以上に思うことがある。

「こんな灰色の世界で、俺はハルヒと二人で暮らさないといかんのか」
「アダムとイヴですよ。産めや増やせばいいじゃないですか」
「……殴るぞ、お前」
「冗談です」

神への嫉妬が抑えられない。
あなたともう会えなくなるのがツライ。

表情があなたから隠されていてよかった。
今の僕は、笑顔を取り繕えていはしないだろう。
冗談でも言っていないと、いつもの声音を保てない。

「まあそっちに僕が生まれるようなことがあれば、よろしくしてやってください」

…もう、限界だ。

「……ああ、そうそう、朝比奈みくると長門有希からの伝言を言付かっていたのを忘れてました」

これが、彼のこちらの世界への未練を喚起できればいいのだけれども。
そうすればまた、会うことができる。

「朝比奈みくるからは謝っておいて欲しいと言われました。『ごめんなさい、わたしのせいです』と。
長門有希は、『パソコンの電源を入れるように』。では」

そして僕は、あなたに戻ってきて欲しい―――――。



そして翌日。
廊下で彼に会った。
閉鎖空間が崩壊したのは分かっていた。
彼がまだ、この世界に未練があったと分かってほっとした。
僕の、彼への未練ほどではないにしても。
もし、彼の未練の一端を僕が担っていたのなら、それは心から喜ぶべきことだと思う。

「あなたと涼宮さんにまた会えて、光栄です」

続く言葉を告げられることがこれほど喜ばしいことだとは思いもしなかった。

「また、放課後に」











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