猫と雪とあなた 僕はきっと能力を授かったと同時に、大多数の人と同じには生きられないよう、変えられてしまったのだと思う。 学生らしく学校と家との往復を主軸として生活することも。 男として女性を愛し、子供を育て慈しむことさえも。 僕には幻影の中での出来事のようだ。 ありふれた幸せを幸せだとは思えない自分は一般的には欠陥があると見なされるのかもしれない。 彼女の無意識によって与えられたこの力はきっかけ。 この力を得たから幸せだ、とは思えない。 では何か。 僕の幸せの源になれるのはこの力をきっかけとして出会うことのできた彼。 そう、彼でしかあり得ない…。 無惨な結果に終わった涼宮さんお手製の、僕の顔をした福笑いを置いて、僕は緊張した面持ちの彼に歩み寄った。 「ちょっと失礼します」 なんだ、と迷惑そうに振り返ってきた。 「新川さんたちと明日以降の打ち合わせ等がありますので席を外します」 ああ、そうか。 返ってきたのは生返事だった。 僕がこれからこの合宿最大の大バクチを打ちにいこうとしているなんて思いもしないのだろう。 彼の頭の中を占めているのは、これから取り組む福笑いのことだろうか。 彼はかなりの負けず嫌いだから、こんなちっぽけなゲームにも本気で取り組むのだろう。 僕のように意図的に負けるなんて、彼にはできないはずだ。 何事にも本気。 それは彼の誠実さの現れでもある。 僕は彼の勇姿を見たい思いをぐっとこらえて、共有スペースを後にする。 まずは、シャミセン氏を捜さねば。 手近なところでまずキッチンでも、と赴いてみたら、森さんの足下にからみついているシャミセン氏を発見した。 よかった。こんなところで時間を食って後々の計算が狂ってしまうところだった。 礼儀として一声掛けて、森さんだけのキッチンに入り込む。 「これから殺人者になるのでしたっけ?」 役者の一人である森さんには、当然結果を知らせてある。 「ええ、まあ」 「うまくいくといいわね」 「いってもらわないと困るんですけどね」 他愛ない言葉を交わし合いながら、僕はシャミセン氏に手を伸ばした。 「ずいぶんと彼に執着しているみたいね」 話題が変わり、森さんの声色が変わった。 困ったような、咎めるような響きがこもっているように感じられる。 「そう、見えますか?」 相手の出方を探るように、曖昧な返答をしてみた。 彼と他の人たちとであからさまに態度を変えているつもりはないのだが。 「あなたにしては珍しいくらい傍にいるようだし?」 …ああ、そういうことか。 「彼は神が選んだ人ですよ?彼の傍は居心地がいいんです」 彼は優しすぎるくらい優しい。 その優しさは僕を虜にして狂わせていく。 これまでと同じ笑顔を、彼の前で浮かべるのにはひどく労力を必要とするくらいに。 彼の傍というポジションは、どこよりも居心地がいい。 「それを執着というのよ。…まあ、あなたのことだからわきまえているとは思うけれど…」 「心配には及びません。僕はあくまでも『機関』の一員です」 「分かっていれば、それでいいわ」 僕はシャミセン氏を抱え上げて、森さんに背を向けた。 …今、僕は嘘をついた。 だが、これは森さんには言うべきではないことだ。 昨日、あの異空間の中で僕は彼に誓った。 ――今後、長門さんが窮地に追い込まれるようなことがあったとして、 それが『機関』にとって好都合なことなのだとしても、僕は一度だけ『機関』を裏切ってあなたに味方します―― 僕の心から思ったから、彼に誓った。 長門有希を引き合いに出し、少しでも彼のため、という印象を低減させようとしてまで、僕は彼に誓いたかった。 僕は彼のために存在するのだということを。 彼の中で僕の存在が少しでも大きくなるようにと願いを込めて。 我ながら乙女のようなことをしたものだ、と自嘲せざるを得ない。 だが、それだけ僕は必死だった、ということでもある。 なりふりなんて構っていられない。 彼が僕の方を少しでも向いてくれるなら、なんだってするだろう。 …。 …結局、彼に対して僕は乙女のように必死になってしまうのかもしれない。 僕が微かに笑ったのに気付いたのか、腕の中のシャミセン氏が「にゃあ」と鳴いた。 寸劇を終え、謎解きを終え、年越しを終えて騒いで、各自の部屋に戻ったのはだいぶ遅くなってからだった。 本来なら、こんな時間に尋ねることもないだろうとは思ったのだが、早い方が良いと思ったのと、 彼に何となく会いたかったのとで僕はドアをノックした。 「なんだ?」 中から聞こえる彼の声。 戻ってそれほど時間は経っていない。 起きているのも当然だ。 「少々お邪魔してもよろしいでしょうか」 「ああ、いいぜ」 失礼します、と一言断って、僕は部屋に入った。 中にいた彼はベッドに座り、眠るシャミセン氏の頭をなでてやっていた。 和む光景だ。 「どうした?なんか用か?」 眠そうに目をすがめる彼は、僕の顔を一瞥してまたシャミセン氏に戻す。 「今回の功労者のシャミセン氏にこれを進呈しようかと思いまして」 手の中にある猫用の菓子を掲げてみせた。 「ですが、お休み中では召し上がっているところを見学するわけにはいきませんね」 「こいつはいつも寝てるからな。 寝ていない時を狙うのはずっと一緒にいでもしないと無理だ」 「確かに。では、これはあなたにお渡ししておきましょう」 「ああ、その辺りにでも置いておいてくれ」 彼が指し示したのは、シャミセン氏を運ぶのに使っていた猫用キャリーだった。 シャミセン氏に関する荷物はおそらくその辺りにまとめてあるのだろう。 僕は遠慮なく、置かせていただいた。 「今回くらいは平和に済むと思っていたんですが、予想外のことが起きましたね」 さすがの僕も疲れました、と付け加えようとして、やめた。 同情をひくような言葉を使っても、男ではかわいげがない。 まして今回活躍したのは倒れるまで頑張った長門有希だ。 「だが、ハルヒはおとなしくしてたし、トラブルも無事解決。今回はそれでいいじゃないか」 「そうですね。涼宮さんが機嫌よさそうにしているだけで、僕は安心します」 「ご機嫌取りの寸劇を考えるくらいだからな。 機嫌良くしてくれなかったらそれは困るだろう」 「ここ最近の僕の苦労も報われたというものです」 まさしく僕は肩の荷を下ろしたばかりだ。 今回の寸劇のためにどれだけ頭を悩ませたことか。 僕には向かないと彼に愚痴を言ってしまうほどには神経をすり減らした。 「次回は是非あなたにも手伝っていただきたいですね」 「俺には無理だ」 にべもなく断られてしまった。 まあ、本気で彼に縋るつもりはなかったけれど。 「そんなに苦労したんだったら、ハルヒに言われたときに断っておけばよかっただろう?」 「僕にそれができるとお思いですか?」 僕は嘆息し、彼の隣に腰掛けた。 「僕が、というよりも『機関』がなんですが、その望みは涼宮さんによって世界が崩壊させられないことです。 彼女を飽きさせても、不機嫌にさせても閉鎖空間が発生し、世界は崩壊へ近づく」 「前にも聞いた。飽きさせないようにこちらから娯楽を提供しようってやつだろ?」 「ですから、僕自身がどれだけ苦労しようとも、涼宮さんに望まれたら無下にはできないんですよ」 僕は彼女に望まれたから生まれた超能力者で、彼女が生み出した閉鎖空間を崩壊させることが役目で。 彼女に望まれなければ存在する意義がなくなってしまう。 面倒ごとを抱え込むのも、世界のため、だ。 仕方のないこと、だ。 「まあ、先程のお手伝いに関しては冗談だと思って聞き流してください。 言ってみたかっただけですので」 「聞き流せん」 僕は驚いて、だがそれを表情に出すことはなく、隣の彼を見た。 彼は真剣な顔をして、僕を見ている。 「ハルヒの変な力に関して俺たちは一蓮托生だ。 1人で抱え込んで苦労するなら、ハルヒ以外の人間を巻き込めばいい。 長門や朝比奈さん、もちろん俺も、できることに関しては無下に断ったりしない」 犯人くらいならやってやる、彼は視線をそらして、そう付け加えた。 彼の目が向いていないから、遠慮なく彼に見入ってしまった。 短い髪からのぞく首筋、発達途上の肩、そして、男子高校生らしくうっすらと骨の浮く手。 この手に僕の指を絡めてみたらどんな反応をするだろう、と考えてのばしかけた手を引き止め、 左目にかかっていた髪をはらうのに使った。 「じゃあ、そのときはお願いします」 期待してしまう。 彼も少なからず僕が彼を想うのと同じように僕を想っていると、わずかな望みをかけてしまいそうになる。 ああ、と視線をそらしたままの彼が憮然としたトーンで言う。 その声さえ、僕には愛しくてたまらないというのに。 その優しさに甘えたくなる。 先程思いついた願望を実行に移し、彼に寄り添って、その肩にもたれてみたい。 騒いだ疲れも手伝ってきっと、すぐに夢の中だ。 彼のぬくもりに、匂いに包まれて眠れるなんて、それこそが幸せな夢だ。 「長門みたいにお前にまで倒れられたら、結構困るからな。 それがハルヒの娯楽のための寸劇作りのせいじゃあシャレにならんだろ」 「またまた、ご冗談を」 「いや。本当に、少しはアテにしてる」 本当だぞ。言わなくていいダメ押しまでしてきた。 きっと今の僕は、困ったように苦笑している。 隠しきれない。 気疲れと、彼と二人きりという状況と、彼の「アテにしている」というセリフの破壊力が僕から取り繕った笑顔を奪う。 本当に、困った。 困って、困って、彼に本心を洗いざらい吐露してしまいたくなるほど。 彼は本当に、僕が彼を想うのと同じように、僕を想っていてはくれないのだろうか? 「じゃあ、僕が倒れないように肩を少しばかり貸してください」 彼の応答を聞く前に僕は彼の肩に頭を預けた。 彼の匂いがして、ひどく落ち着く。 「おい、古泉…」 ここまできたら、と開き直って、僕は願望を叶えてみることにした。 彼の左手を僕の右手で捉え、指と指の間に僕の指を滑り込ませた。 手を軽く握り、頭を彼に深く預け、目を閉じる。 彼の身体が強ばっているのが分かる。 それがなんとなくおかしくて、僕はくすりと笑った。 「…男同士で寄り添ってなにがおかしい」 「いいえ。なにも」 あなたが緊張しているのが可愛くて、と正直にありのままを言って、頭を振り落とされてはかなわない。 まだ、このままでいたい。 僕より高い彼の体温が心地いい。 このまま、本当に眠ってしまいそうだ。 「古泉、寝るんじゃないぞ。自分の部屋で寝ろよ」 「分かってます」 彼の身体から聞こえる彼の声。 その振動さえ、心地いい。 匂いとぬくもりと、声。 あまりに心地よくて癖になりそうだ。 ただ、彼は疲れた様子の僕を見かねて、優しくしてくれているだけだというのに。 その優しさにいつまでも甘えていては、不審がられてしまう。 僕は、非常に名残惜しかったが、彼から頭を離し、手を離した。 「ありがとうございました」 彼を見て、にこりと微笑む。 「夜分に失礼しました。おやすみなさい」 立って、ドアに向かう背に彼が声を掛けてきた。 「おやすみ」 彼は笑っていた。 困ったような、照れたような、バツの悪そうな顔で。 その瞳は僕を捉え、すいっとそらされた。 ドアを開けて外を出たとき、僕は「はい」だったか、やまびこのように返答したかした気がする。 まあ、その時言った言葉なんてさして意味のない言葉だったから覚えている必要はない。 ただ、その時僕が非常に動揺していたことは、隠しようのない事実だった。 後ろ手にドアを閉め、周囲に人がいないことを確認し、僕は口元を手で押さえた。 ―――――これ以上僕を好きにならせてどうするつもりなんですか? あそこで笑いかけてくれるなんて思っていなかった。 ただ僕の姿など瞳に映さず、「ああ」とか言ってくるものだと思っていたのに。 こんなに優しくされたら僕は誤解してしまう。 彼が、僕が彼を想うのと同じように、僕を想っていてくれているのではないかと。 この上なく乙女泉でお送りしました。 キョンが古泉に甘いです。 どの程度甘くしていいのか、さじ加減が難しい。だって、キョンデレだし。 そして、深夜に二人きり(シャミ付だけど)。 古泉、よくお前押し倒さなかったな、と思ってしまいます。 新年を祝い疲れてたんですよね。 だから、キョンも古泉に甘かったんだ…、と思うことにします。 消失あたりの出来事がショックで、かつ古泉が遭難中にぐらっとくるようなこと言うから、 キョンも少し傾いたんだ、と思ってください。 …私の書く古キョンは、こんなのが多くなるんだろうか…。 |
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